マスターズ甲子園本大会に出場し、甲子園球場で試合ができました

マスターズ甲子園本大会に出場し、甲子園で試合ができました

2019年11月8日(金)-10日(日)

 

マスターズ甲子園本大会に出場するために甲子園に行ってきました。
前日の11月8日(金)は年休を取得し、大阪へ向かう。
午前中に14キロランニングしてから、午後、東京駅から東海道新幹線に乗車。

 

12時40分ののぞみで新大阪へ。
通路側の指定席に乗ったけど、わりと混んでいた。
15時10分に新大阪駅に到着。
片道14720円。

新大阪から大阪までJRで移動。
大阪梅田駅まで歩いたけど、行き方がわかりにくく、ちょっと迷った。
大阪梅田から甲子園までは阪神本線で一本だった。

16時前には甲子園駅に到着。
甲子園に来たのはこれが初めて。
甲子園球場って駅からあんなに近いのか。
よくみんなが写真を撮っている甲子園の外観の写真がどこから撮っているものなのか、よくわからなかった。
まさか高速道路の下から撮っているとは思わなかった。

 

甲子園の周りを歩いていると、宿泊する夕立荘が見えた。
1日目はチームで貸し切り状態。
1日目は1個上の先輩3人と4人部屋。
素泊まり2泊で11400円。
2人の先輩はすでに到着していた。
前夜祭までまだ時間があったので、1人の先輩と明日の朝ごはんを買いに駅前のイオンに行ってきた。

18時からは前夜祭が行われるホテルヒューイットに移動。
前夜祭にはマスターズ甲子園本大会に出場する16チームが参加。
我々は土曜日の第一試合なので、ほとんどの人が前泊で前夜祭にも参加。多分40人近い。
日曜日の試合のチームは数名しか参加していないチームも多かった。
PL学園は数人の参加だったけど、中村順司元監督は参加していた。

各チームの代表が意気込みを話したり、対戦相手とお土産の交換をする時間がかなり長い。
立食パーティーでお酒も入っているので、途中からはほとんど聞いていなかった。

20時には終了。

チームとして同じホテルヒューイットで引き続き決起会。
ここで明日の試合の起用方針が発表された。
嬉しいことに6番ライトでスタメンだった。
これで甲子園で試合に出られることは決定。
50人ベンチ入りするから出られるかどうか不安だった。

早く寝れば良かったけど、宿に帰ってからもロビーで飲んで、そのあと部屋で飲んでしまい、寝たのは1時過ぎだった。

翌朝は4時半起床。
ちょっとお酒が残っていたけど、起きられた。

昨日、買ったサンドイッチを食べて6時20分に甲子園集合。
朝早いので、やや寒かった。

グランド内では撮影はNGだと何度も言われた。
甲子園の土を持って帰るのもNGだと何度も言われた。

観客席も含めて初めて甲子園に入ることができた。
観客席よりも先にグランドに入った。
お客さんが入っていない甲子園はとても広く見えた。
朝焼けの甲子園とかかなり貴重だと思う。

スタンドで記念撮影をしてから、室内練習場に移動してアップ。

室内練習場は狭いところに50人入るので、ほとんど身動きできない。

トレーナーの人がたくさん来てくれて、ストレッチを手伝ってくれた。

ただアップとしては不十分だった。

一度、一塁側ベンチに入った。
甲子園のベンチって初めて入ったけど、あんなに深いのは知らなかった。
余裕で自分の身長よりは深かった。

ベンチに荷物を置いて、開会式に向かう。
一度、グランドの外で並んで待機。
入場行進は背の高い順だったので、ほぼ最後尾。
チームとしては16チーム中、一番最初に入場行進できた。

結構、大回りして入場行進するので、長い間行進できる。

選手宣誓はPL学園OBの桑田真澄選手。

桑田選手の宣誓に合わせてか、観客もだいぶ増えていた。

開会式が終わると、少しだけ狭いところでキャッチボールをする時間があって試合開始。
正直、アップは全然足りてなかった。
贅沢を言うと、ノックをやらせてほしかった。

先行でプレーボール。
電光掲示板に名前が載るのはとてもうれしい。
しかもフルネームで載るのは、ありきたりな名字と一文字の名前の特権かもしれない。

6番ライトだったけど、初回から猛攻で2点が入り、尚も2死2塁で打順が回ってきた。
埼玉大会は木製バットだけど、甲子園では金属バット。
直前に何回か素振りをしただけでここでも準備不足。

初球は外角低めのかなりきわどいコースでストライクを取られる。あれを取られると、厳しい。
2球目は高めのややボール球に手が出てファール。
3球目は変化球が外れてボール。
4球目は変化球がよぎって、ストレートにどん詰まりのショートゴロ。
ショートが悪送球をしてくれて、1点が入り、自分も塁に出ることができた。

試合は90分という時間制限があるので、両チームで話し合って時間短縮のために盗塁もけん制もなしというルールでやっていた。
次の打者のセンター前ヒットで3塁まで進んだが、ホームには帰れず。

1回裏の守備にも着いた。
打球は飛んでこなかったけど、甲子園のライトを守れてよかった。

甲子園はスタンドが低いからなのか、結構、客席が目に入る気がした。

自分の試合出場はここまで。
2回の守備から交代だった。
50人が90分の間に出場する必要があるので、仕方ない。
打席にも立たせてもらえたので、結果は出なかったけど、満足。

どちらにせよ、今の年齢(4月の時点で34歳)だと3回までしか出場できない制限があった。
しかも2回が終わって、30分が経過していた場合は3回から35歳以上しか出られなくなる。
この試合はギリギリながらも3回までは34歳以下も出場できた。

相手の岐阜選抜はスイングが鋭かったと思う。
あとは両チーム、選手がどんどん変わるのと、緊張とノックもしていない準備不足からの拙守で得点の取り合いになった。
結局、6回終了時点で9-9の引き分けとなった。

50人全員が試合に出場することができたことが一番良かったと思う。

試合後は、甲子園のテレビ中継でインタビューを受けている場所を通ることができた。
あそこに通じる道ってあんなに上り坂になっているとは思わなかった。
ダッグアウトにも入ることができた。

全員がインタビューを受けるイベントもあった。
その後、アルプスで今日の応援をしてくれた中学生の吹奏楽部の方たちとの対面式。
この頃、2試合目のPL学園と利根商の試合がやっていた。
桑田投手のピッチングも見ることができた。

甲子園の外に出ての記念撮影で全体のイベントは終了。

自分は甲子園キャッチボールは応募していなかったので、一度、宿に戻った。

同期のマネージャー2人と選手1人が応援に駆けつけてくれていたので、再び、甲子園に戻った。
3試合目が終わったところで解散した。

2日目は18時から梅田で打ち上げ。
宿に帰ってからもまたロビーで飲んで、23時ごろには就寝。
朝早かったので、眠かった。

朝7時過ぎに起床。
8時ぐらいには宿を出て、帰京。

新大阪駅でくるるのたこ焼を食べて、551 蓬莱で豚まんとシュウマイをお土産に買って帰宅。
大阪らしいものを食べたのはこれだけだったな。
13時過ぎには家に帰ってこられた。

Facebookを見ると、色々な人が写真をたくさんアップロードしてくれていた。
みんな、Facebookのカバー写真が電光掲示板の写真になっていた。

今回、初めての甲子園だったけど、1回来たら、また来たくなった。
また埼玉大会を勝ち上がらないといけないので、大変だけど、トレーニングをする理由ができた。
余談だけど、1チーム参加料が50万円かかる。
その他の諸経費で1人2万円、交通費、宿代、前夜祭、その他の飲み代で結構お金を使ったな。

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